『科学的思考入門 (
講談社現代新書 2765)』植原 亮
非常に難しい本だった。そもそも何故『科学的思考』が必要なのか。それがなくても生きていける、『理想郷』近い世の中が、『一般』の世界だったら、所謂『一般人』に『科学的思考』は必要なかった。だが、世界は変わり、これは
私見だが、その『一般』の人々(自分も含めての)の意識を高めていく必要が出てきたし、本来そうあるべきだと思っている。具体的に言うと、戻るが何故科学的思考が必要なのか。それは単純にこの情報化社会に於いて『有害な情報』から身を守るためである。例えば、
新型コロナウイルスに伴って台頭してきた『反ワクチン論』
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読書メーター
https://bookmeter.com/books/22495838『陰謀論』『人工地震説』こういったものに駄目もものは駄目。というのは簡単で、実際そうなのだが、その思考を阻むのが、多様な情報である。『情報化社会』の弊害。『MGS2』でも触れられていましたね。というわけで、それらが何故駄目なのか、ちゃんと理解して、『駄目』とする必要がある。
それに用いるのが科学的思考なのだが、コイツを身に着け使いこなすのが、本当に難しい事がこの本を読みとよくわかる
だからーなかなか簡単な話ではないのだが、会得できればそれに越したことはない代物ではある。
注目したいのは、『第3章 科学的思考を阻むものー心理は真理を保証しない』だ。この中で、1認知バイアスー因果関係を軸にというところで、その他の認知バイアスという項目があり、挙げられているのが『公正世界信念と内在的正義』というので、例として「平清盛が高熱に苦しんで死んだのを、強権的な独裁政治を行ったことの『罰が当たった』と捉えてしまう。実際にはマラリアだったと言われる。」という文があり、これは正しく人間が陥りやすい認知バイアスに他ならない、と思った。
つまり、世界は『神』が視ていて『罪と罰』が正常に機能していると思いがちなのだ。自己に対しても、他者に対しても。
だが、科学的思考で『世界』を観た時、世界には因果(これも『言葉』である。科学は数式で世界を表すらしいし、これも自分レベルの理解ではこういう言い方になる)は、あるが、それは人間が信じる、『公正』という概念とは別のものであり、まずそこから解き放たれる事が、科学的思考で世界を見るには必要となる。
これは非常に大事なことであると思われる。