フィクションに関する所感

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アニメ アークナイツ 視聴完了?

https://youtu.be/0xR91gHai4k?si=e5S3qw7bu1s_k43y

何かアークナイツのアニメって、クール毎に終わるわけでもないし、本体のゲームは完結していない以上、区切りが分かりづらく、本当に終わったのか分かりづらい為?、としました。

アニメ、アークナイツは、ソーシャルゲームのアニメにありがちなのか、話がアニメ勢には分かりづらく(例、Fate/Grand Order魔法少女まどかマギカマギアレコード等)正直話が飲み込みづらかった。

だけど、今クールのアニメアークナイツは、メッセージ性が強烈で、この作品が何を言いたいのか分かりやすかった。

名言も多い。

答えは示されていないけれど、現実への強烈な普遍的問題提起を感じた。

アニメ勢の感想です。

自分がおかしいのか世界がおかしいのか

『代議制民主主義 - 「民意」と「政治家」を問い直す (中公新書 2347)』待鳥 聡史
『難しいことは分からないが、ナニカがおかしい』ーそう感じている人は今の現代日本社会を生きている中で多いのではないのだろうか。それを、感じて思考すると、自己批判精神がある人間なら、「自分がおかしくなってるのか、世界がおかしくなってるのか」この思考にたどり着く。この思考は苦しく、なかなか抜けだせない。何故なら哲学的な問いであると思うし、自分で自分を正常だとすることこそおかしいと判ってる人間が陥る思考だからだ。特効薬はまず、「自分に自信をつける」ことなのだが、これが行き過ぎると世界を攻撃しだす人格が出来上がる。
#読書メーター
https://bookmeter.com/books/9913024

だが、大事なのは自分が当事者として生きている社会(世界)、現実を理解することである。それを判れば自分がおかしいのか、世界がおかしいのかが分かる。

本書は民主主義という、我々が生きる社会が採用している制度を扱って、どちらがおかしいのか、証明した本だ。

結論から言おう、「社会がおかしくなっている」本書が書かれたのは10年前の2015年だが、「失われた20年」と言われており、社会、政治、民主主義が、『社会のあるべき姿』に沿って、『正常に機能しなくなっている』事になって、久しい事を看破している。

逆に言うと、『代議制民主主義』が、正常に機能していた時期もあり、それは理想的だった。

しかし今現在2025年、社会のあるべき姿に、伴ってしかるべき、『政治』『民主主義システム』『社会制度』これらを、包括的に含んだ『正解』が示されてない。

見つかっていないと言ってもいい。

つまり、今は『世界』が『混迷』の『時代』なのだ。ここに正常な認識がある。

良い本の感想。

『科学的思考入門 (講談社現代新書 2765)』植原 亮
非常に難しい本だった。そもそも何故『科学的思考』が必要なのか。それがなくても生きていける、『理想郷』近い世の中が、『一般』の世界だったら、所謂『一般人』に『科学的思考』は必要なかった。だが、世界は変わり、これは私見だが、その『一般』の人々(自分も含めての)の意識を高めていく必要が出てきたし、本来そうあるべきだと思っている。具体的に言うと、戻るが何故科学的思考が必要なのか。それは単純にこの情報化社会に於いて『有害な情報』から身を守るためである。例えば、新型コロナウイルスに伴って台頭してきた『反ワクチン論』
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陰謀論』『人工地震説』こういったものに駄目もものは駄目。というのは簡単で、実際そうなのだが、その思考を阻むのが、多様な情報である。『情報化社会』の弊害。『MGS2』でも触れられていましたね。というわけで、それらが何故駄目なのか、ちゃんと理解して、『駄目』とする必要がある。

それに用いるのが科学的思考なのだが、コイツを身に着け使いこなすのが、本当に難しい事がこの本を読みとよくわかる

だからーなかなか簡単な話ではないのだが、会得できればそれに越したことはない代物ではある。

注目したいのは、『第3章 科学的思考を阻むものー心理は真理を保証しない』だ。この中で、1認知バイアスー因果関係を軸にというところで、その他の認知バイアスという項目があり、挙げられているのが『公正世界信念と内在的正義』というので、例として「平清盛が高熱に苦しんで死んだのを、強権的な独裁政治を行ったことの『罰が当たった』と捉えてしまう。実際にはマラリアだったと言われる。」という文があり、これは正しく人間が陥りやすい認知バイアスに他ならない、と思った。

つまり、世界は『神』が視ていて『罪と罰』が正常に機能していると思いがちなのだ。自己に対しても、他者に対しても。

だが、科学的思考で『世界』を観た時、世界には因果(これも『言葉』である。科学は数式で世界を表すらしいし、これも自分レベルの理解ではこういう言い方になる)は、あるが、それは人間が信じる、『公正』という概念とは別のものであり、まずそこから解き放たれる事が、科学的思考で世界を見るには必要となる。

これは非常に大事なことであると思われる。

アニメ タコピーの原罪 視聴完了

一体どういう話なんだこれは....。
全話見たがどういう話か分からなかった。
これは原作を読めという事か。
『露悪』的な話としては、よく出来ていると思うが、それにしては最後の救いが要らない。
かと言って最後の救いを重視するなら、何故こんなに露悪的なのか。
理解が追いつかない作品でした。

Fate/Grand Orderと『原典参照主義』



『人理』とは-
そもそも『Fate/Grand Order』で、新たに取り入られた、概念であり、設定ではなかろうか。
原典staynightでは、『英霊の座』という設定、言葉はあっても、『人理』という設定、言葉はなかったはず。
つまり、Fateの中でも重要な要素である『英霊召喚』という設定において、原典staynightでは、『人理』等というものは、存在しなかったのである。
staynightに於ける『英霊召喚』
そして『聖杯戦争
とは、全て第三魔法『天の杯<ヘブンズ・フィール>』に至るための、過程であった。
それと、『Fate/Grand Order』に於ける『英霊召喚』は同じ言葉、同じ設定、同じ世界観でも違うように思う。


気になったのが、この『マシュ・キリエライト』のプロフィール9の
「死した後、高次元にある『英霊の座』に保管された彼らは、それ以後、あらゆる時代、あらゆる世界に『かつてそうであった情報』としてダウンロードされる。」
、これでは本体が『英霊の座』にあり、我々が『サーヴァント<英霊>』として、見ている彼らは、あくまでも『ダウンロードされた情報』を見ているにすぎない。と言える。
原典staynightでも、英霊、あるいは、サーヴァントだったか、どちらを指して言ってたかは忘れたが、所詮は奴隷である、と言っていたのを思い出す。それがどういう文脈かは忘れたが、TYPE-MOON世界ではやはり、『今を生きる人類』、"死後使役される英霊"は区別している様に思える。
だから、原典staynightではセイバー(アルトリア)は、死ぬ寸前に、聖杯を手に入れることと引き換えに、自身を英霊とする取引をしたし、アーチャー(エミヤ)は、自身の力では救えなかった者達より、多くを救う為に、世界と契約し『守護者』となる事で『英霊』となったはず、そして、聖杯の泥を浴び受肉したギルガメッシュは、サーヴァントを奴隷だとし、上述した設定を踏まえるなら、「ダウンロードした情報」に過ぎなくとも、あるいは受肉した時点でそれは違うのか―『今の世界』を我<オレ>のモノとし、自身の手で世界を、彼なりの方法で導こうとした。

思うに人理とは、Fate/Grand Orderのメインストーリーの魔術王ソロモンの『人理焼却』という発想から端を発した設定に思える。

かなり大事な話。

『薬物戦争の終焉――自律した大人のための薬物論』
非常にオススメする本である。だがリテラシーを必要とする本でもある。実本で295ページから始まる『監修者解題』の著者『カール・L・ハート』の来歴を背景にして織り込み済みにして読まないと、誤解してしまうかもしれない可能性を孕み持つ本だ。そしてこれは、米国の『薬物』の話だが、それは『人種差別』(主に黒人に対する米国の)の話でもある。だが、日本とは無縁の話かというとそうではない。日本は薬物、便宜上『ドラッグ』と言っても良いが、それに起因薬物戦争の終焉――自律した大人のための薬物論する問題は他の国に比べて少ないとされる。そしてそれが健全だとされ、褒められる
#読書メーター
https://bookmeter.com/books/22601261

無論、『薬』を摂取せずに人生を、この現代社会で終えられれば、それに越したことはない。だが、そういう問題がない日本は諸外国に比べれば、自殺率が高いという問題がある。それを、『薬物』で抑制出来たとしたらーレトリックに思われるかもしれない。しかし、薬物をまるで「駄目なものは駄目」として、そういう人間が人間として生きる為の可能性を封じる行為は果たして正しいのかーそれを、米国の、『個人の自由』という理念と紐付けて問いている本だ。

そして、この『個人の自由の理念』米国の、アメリカの理想、それは理念として世界に拡がり、『正しい』モノとされ、それは米国の同盟国であり、米国が信じる資本主義経済のシステムの中で生きる日本でも同じ事。

つまり、資本主義経済というのは、確かに悪しきところがあり、わが国は経済政策も間違えているように思うが、その中には、『正しい』とされる『理念』が潜んでいることも、忘れてはならない。そこまで学べる本である。