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コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜 第7話 空も星も越えていこう レビュー

この話もコンレボの中では比較的分かりやすいので、解体的話ではなく、見たままの感想を書こうと思う。思うにこの話というかコンレボのテーマとしてるところって『正義』と『悪』といった白黒はっきりつけられる昭和特撮的価値感に、『それぞれの正義』といった平成のヒーローものの価値感を通して見た時、それはどう映るのかというのをテーマにしてると思うんだよね。そこで出てくるのが今回登場する『アースちゃん』彼女(彼)は、人間が助けを求める脳波を感知して、それを心地よいと感じ、やってくる正義の超人。彼女は”正しいこと”と”悪いこと”を正確に区別出来ると、本人も、周囲も思っている。けれども世の中そんな単純じゃないというのはコンクリート・レボルティオを通して描かれる話。アースちゃんという存在を通して、逆にアースちゃんが味方をしているから正しいのだという理屈も描かれる。つまり利用しているのである。そうした灰色の世界で白黒はっきりつけられるアースちゃんは本物の『正義の超人』だと、今回のメインキャラクタージュダスは言うわけだが、それは逆説的に世界が灰色のポスト・トゥルース的混沌の世界であることを示している。そんな中”正しいこと”をしたいというのが、人間であるジュダス。彼は自分を唯一救ってくれた存在アースちゃんに憧れを抱いていて、”正しい”行動をしようとする、けれど間違ってしまう。デモに参加して、犠牲者を出してしまう。このデモ自体がコンレボ世界が(我々の現実もだが)混沌とした灰色の世界であることを物語っている。そして”正しいこと”と””悪いこと”それだけで分けられないことがあるとこのアースちゃんは知る。世の中には嘘が必要な時がある。真実だけでなく。つまりこの話は全体的に世界は正しいことと悪いこと、白黒はっきりさせられないんだよということを物語っていると同時に、それでも正しさを求めること(ジュダス)は間違っていないということを物語っていると感じた。そして人間は必ずしも正しくはいられないということも。あとコンレボは昭和のイマジネーションを扱っている所為か、そう「作られたモノ」であるというキャラとか話が多い気がする。柴来人やメガッシンなど、これって昭和のイマジネーションの特色だよなと。

 

画的なお気に入りとしては輝子がアースちゃんと接触する為に地球外に飛び出すシーン。どんな格好だとツッコミたくなる。

あとアースちゃんの夢のシーンかな。機械であるアースちゃんが夢を見る。なんとも趣が深いシーン。