フィクションに関する所感

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Fate/Apocrypha 読了。

「誰かの味方をすることは誰かの味方をしないこと」

「誰かを救うことは誰かを救わないこと」

世界の構造〈システム〉が既にそうであるという現実。そしてそれを良しと出来なくなったシロウ〈天草四郎時貞〉。世界が世界である為に、人間が人間である為に必ず犠牲になる者たちが出てくる、人類は前に進む、では置き去りにされた者たちの無念は誰が報いるのか?やがて在ったことすら忘れ去られ、歴史の中に組み込まれてしまう存在、そんな彼らを報いる為の『人類救済』。非常によく分かる。人が人である限り、生きている限り、絶対に産まれてしまう、切り捨てられる人々。そんな彼らを救おうとする『人類救済』。非常に魅力的であり、人が目指すべき到達点に思える。だが、この物語はそれを否定する。詳しいことは上のXのリンクのURLを見てほしいのだが、何故それが否定されるのか?そして人類はそれに到達するには?その方法のシロウのモノとの違いは?言ってしまえばそれに到達することは作中で描かれている、問題はそのプロセスなのだ。人間が人間として歩んだ先に、ソレがなければならない、きっとそういうことなのだろうと自分は感じた。